はりぼうのほほん日記

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映画、ファッション、グルメが好きな大学4年生!基本日記と、めんどくさがり向けライフハックです。

ありのままの隣人を愛せよ/『だから私はメイクする』劇団雌猫の感想

せっかく休みだったので、前々から読みたかった本を探しに図書館に行ったのですが、2冊とも貸し出し中。ショック。
わざわざバスに乗ってきたのに何もしないで帰るのは悔しかったので好きなコラムの連載で紹介されていた中から適当な本を選んで、なんとなく読んだのですが、それがなかなか面白かったので感想です。


『だから私はメイクする』は、コスメを偏愛していたり、美容の業界で働いていたりする女子たちに「あなたはどうしてメイクをするんですか?」という質問が行われ、彼女たちのその質問に対するそれぞれの答えがエッセイ形式で記録されている本。
この本の中で私が一番良いなと思ったのは、1人目として登場する、「あだ名が”美香さん”の女」です。
彼女は、そのあまりのファビュラス&ゴージャスな作りこまれたメイクで周りからは叶姉妹の美香さんとあだ名されています。
すっぴんは千原ジュニアだし、男からは少しメイクが薄い日にこっちの方が良いといわれるのですがお構いなし。
そして彼女は、「男性に気に入られる親しみやすいかわいさなんて目指してない、むしろ浮世離れしていてうかつに話しかけられない、強い顔でいたいの!」と言い放つ。
そんな彼女のエッセイを読んでいて、私は「自然体の自分を愛すること」について考えました。

”ありのままの自分”ってなんだろう

少し前から人気を博している、「ありのままの自分を愛しましょう」という言説がありますが、”ありのままの自分”って一体何なんでしょう?
私は、”ありのままの自分”=自分が一番自信が持てて輝けている状態の自分、のことだと考えています。
例えば、すっぴんでいること、すっぴんを愛することがありのままの自分を愛するということとは必ずしも限らない。
不自然なほど作りこんだメイクをしていても、それがなりたい自分に合致しているならそれだってありのままの自分じゃないですか?
『だから私はメイクする』にはほかにも、この格好をしてると気分が”あがる”からだれに何と言われようと私はこうするの!という「強い女」がたくさん登場します。
もちろん、周囲からのデリカシーの無い発言に心が折れてしまう人も、TPOの問題でいつも”ありのままの自分”ではいられない、という人もいるけど、そんな人も、自分の中ではひそかに、自分の好きな自分でいられる何か、を持っています。
会社用の、堅いスーツの下におしゃれな気に入った下着をつけたり、職場ではからかわれたり、「メイクが薄いほうがかわいい」などと余計なことを言われたくないから”逆擬態”しているけど、仕事が終わったらアクセサリーを付けて、髪型を変えたり、そんな形で、自分の一番輝けるスタイルを持っています。
必ずしも、外見的にも、もちろん内面的にも、自分を飾らないことがイコールありのままの自分、ではないわけです。
周囲から見ると不自然でも、その人にとっては自然体の自分です。
私の目には、彼女たちはとても自分を愛することができていて、生き生きと輝いているように見えました。

”ありのままの自分”を愛させてくれないのは、結局のところ他人

”ありのままの自分”についてはなんとなくわかりましたが、その「自分が好きな自分でいられる状態」を阻害してきて、結局自分を愛せなくなるきっかけは何でしょう。
自然体の自分を認めてくれない他人の存在です。
みんながみんな、先のエッセイの方たちみたいに強い人間なわけじゃないですから、好きなことをしていて「やめたほうがいいよ」なんて言われたら、心が折れて抑圧されて、結果自然にいられず。どんどん自分を嫌いになっちゃったりするのは当たり前じゃないですか。
『だから私はメイクする』でも、自分の一番いいと思うメイクで居たら「もっと薄くて野暮ったいメイクのほうがモテる」とか言われた経験があり、傷ついてしまった人がいます。*1
メイクだけじゃなくてなんだってそうです。
最近『クィア・アイ』にはまっているのでゲイを例に出しますが、ゲイだって初めからネガティブなわけじゃない。
周囲の人がゲイなんておかしい、とかキモイ、とかいうから自分に自信がなくなっていって、時には死にたい……って思ってしまうんじゃないですか。
「ありのままの自分を愛する」っていう主張は流行っているけど、「ありのままの他人を愛する」ことも同時にみんながする必要があります。
そして、自分に都合のいい「ありのまま」だけじゃなくて、都合の悪いものもあると理解したうえでそうすべきです。
みんながそうなれば、結果的にみんなが隣人から愛されることになり、自分を愛することになんの壁もなくなります。
ひとりだけがそんなことしたって無駄と思うかもしれませんが、一人がはじめないとだれも始めませんから。


……と、私はエッセイを読んで、共感し、時にはムカつきながら考えました。
私は私だけでも、ありのままの他人を愛する活動を続けます。
たとえ「そんなの変だよ」と言ってくる人が10人いても、1人でも「それいいね」とか、「あなたが良いと思うなら、それは変なんかじゃないよ」って言ってくれる人がいるだけでなんとなく、心強いでしょうから。
特別に強い人たち以外にも、自分を好きになってほしいです。



おまけ・結局、自然体で生きている人間をみんな羨んでいるのかもしれない
そもそも、自分に関係ない他人がどう生きようが、何の関係もないのだから余計なアドバイス(というか迷惑)をする必要なんてもともとないじゃないですか。
親友とかならまだしも、同僚の女性のメイクが濃かろうが、道行く女の子がロリィタ着てようが、メイク男子がいようが、本質的にはどーでもいいと思う。
なのにそれに対してとやかくいう人はどうしてなんだろう。
「女性は男性から好感度の高いメイクをするべき」「男はメイクしないべき」逆に、「メイクしない女はマナーがなってない」。
結局は、自分はそうやってとやかく文句を言ってくる他人の目線や社会の暗黙の了解から逃れられないのに、それをやすやすと飛び越える人間が羨ましいからなのではないかなと私は思います。
「他人の目線」とか「社会の暗黙の了解」なんてものは、「そう考えている人が大多数存在しているだろう→ということはこれは常識なのか、それなら私も受け入れよう」という予測から生まれているもので、実際にあるものかどうかは不確定なものです。
だからみんな、そんな不確定なものに縛られずにもっと楽に生きたらいいと思うのですが……。
せめて、どうしても言いたい何かがあるなら、「自分はそれは気に入らない」といえばいいのに、逃げのように「みんなこう思っている」というような言い方をするのって、卑怯者ですよね。
卑怯者って思えるだけでも、気が楽になって割と自分を愛せるようになる気がします。

だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査

だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査

*1:宇垣美里さん。あの宇垣アナがこんなこと言われるんですよ!そういうこと言う人は本当に何様なの。