はりぼうのほほん日記

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映画、ファッション、グルメが好きな大学4年生!基本日記と、めんどくさがり向けライフハックです。

血の繋がりは”至高”じゃない/映画『万引き家族』【感想】

「自分で選んだ方が強いんじゃない、絆が」
これは『万引き家族』における”おばあちゃん”初枝(樹木希林)の劇中での一言だ。
何を自分で選ぶのか?自分の家族だ。

※以下ネタバレあり

”社会”と戦う柴田家

万引き家族』の主人公は「祥太」という小学生の少年。
この映画は、祥太とその家族の物語だ。
年金暮らしの祖母・初枝、日雇い労働者の治、クリーニング屋でパートをしている治の妻・信代、JKビジネスに従事する亜紀、そして祥太。
…と、ネグレクト&DVをされて家出しているところを保護した5歳のゆり。
彼らの生活は決して裕福ではない、どころかその日暮らしていくのもやっと。
祥太は小学校に行けておらず、風呂でもシャワーは極力使わない。
そして、日常に必要な品物を賄うために「万引き」をしている。
万引き家族』なんて、見方によっては「何のコメディだよ」って思っちゃうようなタイトルで、実際に描かれているのは”万引きしなければ野垂れ死んでしまいそうな”家族なのだ。

なんとか労働で金を稼ごうとしている日雇い労働者・治はある日足場から落ちて足に怪我を負う。
しばらく働けなくなってしまった彼には労災がおりない。
パートで働く信代の職場では、”ワークシェアリング”を導入することになり働く時間が無理矢理に減らされる=もらえる賃金が少なくなる。*1
ただでさえ貧しいのに、もっと困窮する。
こんなの、どうやってまっとうに生きていけって言うんだ。
社会は、この人たちに飢えて死ねとでもいうんだろうか。
人に対する思いやりとか、他者の気持ちを考えるとか、やってるように見せかけてだれよりもできていない”典型的日本人”は、柴田一家を「自己責任」と切り捨てる。
そんな仕事しかできないのはお前らのせいだ、と。
前夫にDVを受けていて店も捨て命からがら逃げるしかなかった初代は、親に愛されないで育ち家庭内で差別されていた亜紀は、おそらく親に育児放棄されていて十分な教育を受けられていないであろう治は、そして炎天下の中車の中に置き去りにされていた祥太は、彼らの状況は本当に自己責任なのだろうか。
もちろん、それでもまっとうで賢い人間ならいい仕事を見つけられる、かもしれないし、万引きしようなんて考えない、かもしれない。
けれど、彼ら本人が言うならまだしも、そんなものとは無縁に生きている中流日本人様が「自己責任」なんて押し付けるのは少し(というかかなり)想像力に欠けていないか。

祥太の好きな『スイミー』という本がある。
小さな魚の大群が巨大な魚の振りをして、仲間を食べたマグロをやっつける、という絵本。
小さな魚の集まり(=柴田家の人々)はこの映画を通じて、弱いものを容赦なく食らっていく社会に一石を投じている。

血の繋がりはそんなに尊いもんじゃない

社会は貧しい人たちを見捨てるだけでは飽き足らず、もっと残酷なことを平気で行う。

先日の小4女児虐待死事件を覚えているだろうか?
児童相談所は彼女の訴えを聞きながらも、彼女を虐待する両親のもとに返したのだ。
それは、何故か?
祥太の妹・りん(ゆり)も、実の両親にネグレクトと虐待をされて育った。
そんな生活からなんとか逃げ出したかったのだろう、廃屋に一人でいるこの5歳の少女を治は可哀想に思い、家に連れて帰った。
最初は邪険にされていたりんだが、だんだんと家族になじみ、特に初代とは本当の母娘のような絆で結ばれる。
りんと初代に対して国がしたことはなんだ。
被害届も出さない実の両親のところにりんを無理やり戻し、さらに可哀想な初代に「彼女には母親が必要だ」「あんたは彼女を産んだわけじゃないんだから、母親じゃない」「産まなきゃ母親になれない」という。
お聞きいただけただろうか。
彼女には母親が必要だ」だそうだ。

母親ってなんだろう。
産んだらみんな母親なのか?
母親ってそんなに尊いもんなのか?
父親じゃだめなのか?
っていうか、子供は母親の所有物じゃない。

初代はこう反論する。
「そんなの、母親がそう思い込みたいだけだ」

そもそも、愛する気も育てる気もない母親がなんだ。
子供は幼くて周囲からの影響も受けやすく、家庭という小さな世界しか知らない。だから確かに、虐待されても親の元に戻りたがる子が多い。
だけどさ、だからってじゃあ子供がそういうからって、ひどい親の元に返すのを良いこととする風潮って何なの?
子供がそういうんだからそれが子供にとって一番?
バカじゃないの
じゃあ例えば、あなたの親友がDVモラハラ男と付き合っててひどい目に合わされて、「だけど彼が好きなの…」「彼は私がいないとだめなの…」なんて言い出したらケツひっぱたいてでもとめないか。
同じことじゃないのかな。
それとも4歳の子供であっても、しょせん他人のことなんて、面倒なことにならないのが一番なのかな。
あと、普段は子供を判断力の無い存在とみなす癖に、こういうときだけ子供の意思を尊重する(振りをする)のは本当に能無しの人間がすることだよね。能じゃなくて心が無いんだろうけど…。

りんのためにあんな風に泣く初代より*2、「本当に好きな人には、人はこうするんだよ」ってやさしく抱きしめた彼女より、警察にりんを返された後も無視して暴力振るって学校にも行かせない実の母親のほうが「子供にとってふさわしい」のかなあ。
なんだかなあ。
映画のラスト、外の見えないベランダで一人寂しげにビー玉を数えるりんの姿は今も印象に残っている。

映画の中だけの話じゃなくて、先の小4虐待死事件だったり、ゆあちゃん事件だったり、現実でだっていろんな事件が起こっているんだから、もうそろそろ先進国の人間として、母親信仰はやめませんか?
血の繋がりは”最強”じゃない。


おまけ・祥太の成長と「万引き」

祥太がわざと捕まったことで、この家族の秘密は明るみに出て解体を余儀なくされた。
私はこの祥太がわざと捕まったのは、「妹に万引きを辞めさせるためにわざと自分が捕まった」のは事実だけど、最後にあんな言い方をしたのは「父親に強がるため、または自分のした悪さ(万引きとか車上荒らし)を償ってほしいという気持ちでわざと言った」と考えている。
以前駄菓子屋の主人に、「妹には(万引き)させんなよ」と言われたことで、万引きは悪いことなんだ、妹にさせちゃいけないんだ、と自覚した祥太は葛藤し、初代に相談したりする。
何も知らないりんは、いつもの通りスーパーで万引きしようとするが、その前に父親が車上荒らしをしていたことを知って父の”矜持”、ひいては”万引きの正当性”が崩れ去っていた祥太はりんを止めようとし、それがかなわないとしって自分が代わりに捕まった。
祥太が捕まったことで家族は崩壊した。
その後怪我が治り児童相談所に移った祥太はある日治の家に泊まり、次の日に刑務所にいる初代に会って初代の気持ちを知る。
祥太にもなんとなく、病室で聞いた「あんたの”家族”はあんたを置いて逃げようとしたんだ」というのが嘘だとわかったのだろう。
それでも学校に行き、万引きなんてしないまっとうな生活のほうが祥太にとっては良いと考えた治は「逃げようとしたのは本当だよ」と優しい嘘をつき、そんな治に祥太は「俺だってわざとつかまったんだよ」と返したのだと思う。
祥太は最後に、治にお父さん、と言えた(治には聞こえてないけど)。
近い将来、また祥太は治と初代に会いに行くのだろう、と希望的観測をしたい。

各方面への怒りがほとばしりすぎて変な文章かもしれませんがご容赦ください

*1:ワークシェアリングとか一昔前なら夢を追えるフリーターとか、都合のいい人間を増やすためによさげな言葉を使うのは本当に胸糞悪い

*2:あの場面の安藤サクラの演技が凄すぎてもともと一生のファンだけど女神として崇めることを誓いたくなったくらい