はりぼうのほほん日記

はりぼうのほほん日記

映画、ファッション、グルメが好きな大学4年生!基本日記と、めんどくさがり向けライフハックです。

時間の止まってしまった世界/『八本脚の蝶』とインターネット世界

久しぶりに『八本脚の蝶』を読んでいる。
二階堂奥歯さんという、確か国書刊行会の編集者をしていた女性が、死ぬまでの3年間書いていた日記だ。*1
書籍化もされている。



久々に読み始めて、その年号に驚いた。
日記が書かれはじめたのは2001年。もう、20年近く前のことなのだ。
20年近くも前の、そして既に亡くなった誰かの日記を、インターネットで読めるという事実がとても不思議に思われる。
YouTubeInstagramでの流行の移り変わりを見ていると、インターネットの世界は目まぐるしく勢いよく変化する、あまり綺麗じゃない言い方をすると新陳代謝の早い世界なのかと考えてしまいがちだが、むしろインターネットは、時間の止まったタイムカプセルのような存在なのかもしれない。
一度ネットの世界に漂流したメッセージボトルは永遠にそこを漂い続け、私やあなたのような人間が時々、『八本脚の蝶』のような、長い長い時を経て、それでもなお輝きを放っている瓶を拾う。

もちろん、輝きを放っていなくても構わないのだ。紙の世界なら、くすんだものは全て淘汰されてしまうが、ネットの世界は膨大だから、その全てを懐に納めている。
くすんだものも当時を知ることのできる貴重な資料だ。
ネットが大衆に恐ろしい勢いで普及してからの時代が『歴史』になった時、どんな風に歴史としてまとめられるだろう、どんな資料を使っているだろう、そもそも『歴史』というひとまとまりのくくりで語られることがあるだろうか。
歴史に描かれた"史実"の裏に隠れたものに思いを馳せる。


この不肖の私が書いたものも、ある程度の期間書き続けていれば、インターネットの海に瓶詰めとして流れる。
インターネットには、みんなの思考や感性がふよふよと流れている。
私が熱心に読んでいるスレッドの書き込みをした人も、ブログを書いた人も、それが何年も前のものならもう死んでいるのかもしれない可能性だってある。
死んでも生き続けるその人の息遣い、言葉。
違う時間に生きていた人々が、おなじ場所を共有しているかもしれない不思議。

二階堂奥歯さんは20代前半でこの日記を書きはじめている。
私は21歳、れっきとした20代前半なのだが……
あの膨大な読書量と知識、繊細かつ高尚な精神、そして知識と自らを結びつけることのできる優れた知性、そして何よりあの美しい文章!
どれをとっても、70歳になっても私には身につけられる気がしない。
同じ人間でもここまで精神の力に違いがあるか。
生きてきた時間は同じはずなのに、思考してきた時間も、質も圧倒的に差があるのか……。
それなのに、『pink』のユミちゃんと自分を重ね合わせるなんて、私とおなじようなことをしたりもするのだ。
年相応の感性と、大人びた思索と、女性性の呪縛と、あまりに傷つきやすい感受性を全て持ち合わせてしまった彼女に、この社会はどう見えていただろう。*2

八本脚の蝶

八本脚の蝶

*1:ブログなのだけど、彼女の文章には"日記"と書いた方がふさわしいかと思う

*2:もし同世代に生きていたら、私は彼女の友人にはなり得なかっただろう。だけど、せめておすすめの化粧品を紹介し合うような関係になれたらとても嬉しいなと思う。そして、一緒に中野ブロードウェイを歩くのだ。