はりぼうのほほん日記

はりぼうのほほん日記

映画、ファッション、グルメが好きな大学4年生!基本日記と、めんどくさがり向けライフハックです。

学校は全ての人に必要か?

なんだか世間では不登校の10歳ユーチューバーが話題になっていますね。
私は彼の動画、観ていないのですが「学校に行かないと不幸になる」ってほざく奴はいったい何様なんでしょう。
学校って、そんなに良いものですか?
※彼の動画も批判コメントも別にみていないので、全く別物の「私が思う学校がクソな理由を書いてる文」です。

そもそも、勉強はおうちでもできるよ

ホームスクーリングという教育形態がちゃんとあります。
教科書やカリキュラムは学校の形式に沿わせて、家で親が教師役になり勉強を教えるという学びの形態です。
私のホームスクーリングが良いなと思う理由は

1.家庭教師のような形なので、その子に合ったペースで勉強を進めることができる。わからないこともすぐに聞くことができる。結果として理解度が上がる。
2.飲み込みの早い子なら、よりその分野の勉強を深めたり、もっと先に進むことが容易にできる
3.それぞれの勉強に割く時間を、適切に決めることができる

ぱっと思いつくのはこのくらいです。
1と2について、学校のシステムだと進度の違う40人くらいが同じ授業を受けることになるので、平均より”できない”子や”できる”子はないがしろにされがちです。学校だと同級生の目もあるためにわからないところを質問しにくい、そもそも授業の内容が簡単すぎる/難しすぎる…。
こんなことがあると、子供の学習意欲もそがれてしまいます。
もちろん、できる子なら内職(ほかの勉強を授業中にこっそりやる)をするなどの方法がありますが、耳から入ってくる情報がある中で内職中の問題に集中することはなかなか難しく、あまり効果的ではないといえます。
さらに学校だと、できる子やできない子は無駄に目立ってしまいがちです。
私は小、中学校の時とても勉強ができたので、「はりぼうは頭がいいから~」など(ま、わたしたちとは違うよね~~)みたいな言い方をされてとても寂しく思いましたし、話していても「うちら頭悪いから難しい言葉わかんない」とか言われてむしろこっちが悪いような気にさせられました。
からかわれるのが嫌で、わざとバカな振りをしたりもしました。
でも今考えると、そんな必要、あります?
馬鹿だという理由でからかわれるのも、賢いという理由でからかわれるのもどうしようもなく理不尽ですし、それのせいで自分を押さえつける必要も全くありません。
ホームスクーリングなら、できない子のわからない部分も重点的に教えてあげることで理解度を深め、結果的に基礎をしっかり理解することで、初めは進度が遅くともどんどん勉強ができるようになりますし、余計な騒音に悩まされることもありません。
できる子にはどんどんステップをすすませてあげることができます。
得意な分野に熱中することで、専門的な知識を身に着けることはその子のあらたな可能性を開くかもしれません。
3も関連しているのですが、例えば私のように数学や理科が苦手なら、その分野に使う時間を長く取って苦手を克服することもできますし、逆に得意な分野を突き詰めていくこともできます。
学校の場合、まあ全員が同じ授業を受けるため、得意不得意関係なくすべてに同じ、50分なら50分が与えられています。
そこを、自分に(自分の子に)一番効率的な時間配分を考えて実行できるようにする。
そうすると時間の無駄のない超効果的な学習ができるはずです。

学習は分かったけど、コミュニケーションのために学校は必要?

確かに、対人コミュニケーションのことを考えると学校にも良さはあります。強制的に39人のクラスメイトができるわけなので、人と接する機会はふんだんにあります。
しかし、学校以外でも同年代の子とかかわる機会ってありませんでしたか?
たとえばサッカークラブ。ピアノ教室の、特にグループレッスンなど。
近所に住んでいる子供とは顔を合わせる機会が増えるうちに仲良くなったりもします。
なぜそっちのほうを推薦するかというと、初めから「サッカーをしたい」「ピアノをしたい」という共通点を持っていたり、または共通点はなくとも隣の家のこと少人数で遊んだりする方がいじめられるリスクが少ないからです。
学校では、例えばまわりの子と趣味が違ったり、運動が苦手だったり、ちょっとかわいかったり、マイペースだったり、そんな些細な理由でいじめが起こることがよくあります。
学校に比べて、「サッカークラブでいじめられた」みたいな子は少ないんじゃないでしょうか?
そもそもサッカーという共通点がありますし、学校ほどながーーい時間一緒にいるわけじゃないのでいじめようという意識があまり起きない(と思います)。
もちろん、自分と全く違うタイプの子と接する機会も必要です。
でもその結果いじめられるのであればどうですか?
いじめを受けてまで、無理に小中学生の段階で違うタイプの子と接したほうが良いですか?
多くの場合、精神的に大人になってくるといじめは減っていきます。
高校は分かりませんが、大学生にもなっていじめしてるやつなんてバカです。
というか高校ですら一人をハブにするとかまじバカです。
Fランなんかよりずっと人間の程度がFラン。
みんなも、自分(もしくは自分の子供)も精神的に成熟してからいろんな人と接すればいいじゃありませんか。
そのころには、ひとはひと、自分は自分という意識も芽生えていますから、ちょっとみんなが自分とちがっても、ちょっとあの子が私たちと違っても、必要以上に気にすることも無いはずです。
どうでもいいですが私は大学に入るまで体育が大嫌いでした。
できない人をみんなが見る目が怖いし、恥ずかしいし、先生もできないやつはクソみたいな雰囲気をだしてくる。
でも大学では違いました。
むしろできない人にはできる人が教えてあげたり、大人らしく返しやすいボールを打ってあげたり、個人競技でも別に周りの人ができないからといって固まってくすくす笑ったりはしません。
また、かわいいヘアアクセを付けたりしていると、「ブスのくせに」と聞こえるように言われたり。普通の大人の方はもし思っていても聞こえるように言ったりはしないと思います。
精神的に未熟だと前者のようになるかも。

また、両親や兄弟だって突き詰めると他人なのですから、家族間でうまくコミュニケーションが取れているのに外では全くうまくできない、ということは少ないと思います。
もちろん人見知りな子やおとなしい子もいますが、それもその子の個性です。
無理に「みんなと仲良く!」「明るくはきはきと!」を押し付けないほうがのびのびと育って逆にヘンなコンプレックスをこじらせない分、うまく自分の居心地のいい方法を見つけることができます。

学校は、例えば「勉強ができる/できない」「明るい/暗い」「かわいい・イケメン/ブサイク」というような少ない価値観のなかでのみジャッジされがちです。社会に出てみたら、「ちょっと内向的だけどすごく手先が器用だよね」とか、「ブスだけど、仕事にひたむきな姿勢は魅力的だね」とか、その人の輝く部分をきちんとみてもらえるようになります(適切な環境に居れば)。学校で「私はブスだからオシャレしたらダメなんだ」とかそんな劣等感を植え付けられる必要がありますか?些細な言葉も呪いになって人を縛ります。精神的に未熟な人は無神経です。大人になって卑屈な子は、どこかで劣等感を植え付けられている可能性が高いです。むやみに傷つく必要なんて、ないです。


私は21歳になっても、少なくとも中学までは行って良かったと思えてません。高校はだいたいクソだったけどいいところもありました。親友を見つけることができたし、面白い先生もいましたから。でも残りの30人のクラスメイトと、嫌な先生はすべて忘れました。連絡を取る気もありません。そんなもんです。