はりぼうのほほん日記

はりぼうのほほん日記

映画、ファッション、グルメが好きな大学4年生!基本日記と、めんどくさがり向けライフハックです。

語る言葉を持たない切なさ/日記

帰り道、泣き叫ぶ少年がいた。
両親とおそらくお姉さんと一緒にいたようだが、彼は文字通り泣き叫んでいた。
子供は簡単に泣く。それは、自らを語る言葉を持たないからだ。
自分の感情、思考、自分自身のこと、感覚、それらを周囲に伝える術が泣くことしかないのだ。
表現できる言葉の少なさは私も同じだ。

私も言葉が貧相で、自分の状態や思考、または「違和感」をうまく言葉にすることが難しい。
だけど、子供のように泣くこともできない。
ごく親しい人の前では今でも泣き虫だ。
でも、友人や職場の人、大学の人、見知らぬ人、そんな人々の前で大声あげて泣けはしないし涙も出てこない。
肺に灰がすこしずづ溜まっていくようにもやもやが、心に溜まっていく。
何か嫌なことがあっても、言葉がなければ、せめて伝えるものではなくてもいい、自分の中で少しでも言葉が生まれなければ(自分の状態や意識はそれを表現する言葉がないとはっきりしないものだ)、自分でも自覚のあまり持てない謎のもやもやになる。
なんだかそこはかとなく悔しいはがゆい、それは違う、という思いをする。
あるいは単純に悲しく嫌な気持ちになる。
それをうまく相手に伝えることができない。

特に、話すのはよくない。
会話のようなリアルタイムに流れていくスピードの速い世界では、タイミングよく言葉を出さなければならない。
反論したければ、嫌なことにいやというためには、適切なタイミングにそれを表明する必要がある。
これは先日書いたセクハラの話にもつながるかもしれない。
はじめてセクハラされた話 - はりぼうのほほん日記
まあ「キモイ」とか言うのは簡単かもしれないが、タイミングよく言わなきゃ失敗だし、そもそもそんな3文字で表現できるような感覚ではなかった、かといってうまい言葉がみつからなかったのだけど。
もっとうまく言葉を扱えたら、自分を表現できたら、今までのいろいろなことは今よりかなり良い結果になっていたと思う。
恋人とのもめごとや喧嘩も少なくできたはずだし、私が自分のもやもやをはっきりさせられていれば、お互い長引かせなくてもよかった問題もある。*1
相手にも迷惑かけたりなんかして、それを考えるたびに自分の頭の弱さが嫌になる。

だから私は書いている。

…という面もある。
会話と違ってラインなら少しは考える時間が与えられる。
それでも間違った言葉を使って誤解されてしまうこともあるけれど、会話と違ってパニックにならないから。
上手く話せなくなってみっともないことに突然涙が出てきたりしないから。
それに、こうやってブログを書いていれば(見てくださっている人がいる以上、広義の対話だけれど)、昔のことで言葉が見つかったことに対してなにか書いてもやもやをちょっと掃除することもできる。
書くことはある意味、私のライフラインかもしれない。

*2

*3

*1:私の恋人はとても賢く頭の回転もはやいので、議論になるときも私は泣くことしかできない無力な生き物になります。同じ人間なので脳の大きさも同じのはずなのに、使える量の差はどこからでるんだろう

*2:例えばAとBは、ほかの誰かの中では区別がつかないかもしれないけれど、私の中には明確な区別がある。 だけど、「え?なにがちがうの?どこがちがうの?同じに見えるけど」と言われてしまうと、あきらめざるを得ない。 話すことと理解してもらおうとすること、あげくは対話をすること、相手を理解しようとすることを。周りに興味が薄いのはそのせいもあるのかな

*3:怒りや悲しみをうまく表現できず、つらい。 私は本当は、自我も好き嫌いも主張も美意識も割とはっきりしているのに、鮮明に伝える言葉を持たないことで誰にも共有できず、寂しい。