はりぼうのほほん日記

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映画、ファッション、グルメが好きな大学4年生!基本日記と、めんどくさがり向けライフハックです。

常識を疑え!/『謎の独立国家ソマリランド』の感想、そしてイスラム教の話

みなさんは、「ソマリランド」という国を知っていますか?
国際情勢に興味がある人でも、知らないかもしれない。では「ソマリア」はどうでしょう。
内戦や地震のニュースが時々日本でも流れていたので、こちらは知っている方がいるかもしれません。
今回紹介する『謎の独立国家ソマリランド』は、著者がソマリランド、そしてソマリアを旅し、2国の実情に迫るノンフィクションエッセイです。
ソマリランドなんてそんなよくわからんアフリカの国はまったく興味がないですか?
しかし、この国は内戦に揺れていたソマリアに位置しながらも独自の方法で民主主義を作り上げ、長きにわたって平和を維持する民主主義国家。
この国家、そして人々のつながりの仕組みは、ともすると西欧文明偏重主義になりがちな”国のありかた”について今一度考えさせてくれる、とてもすばらしいケーススタディなのです。
そんなソマリランドの人々を見ていると、日本で正しい、素晴らしいとされているものは小さな日本の中での基準なんだ、そして今の社会は、”国連のリーダー”であるアメリカの価値観が手放しでもてはやされているだけ、今は全然理想的な状態ではないのかもしれない……、と思い始めてきます。
”常識を疑う”=世界を”別の見方”から見てみませんか?

ソマリランドってなんだ

ソマリランドは、ソマリアの北に位置する”自称・独立国”。
自称とつけたのは、国連に正式に国家と認められていないからです。
しかしソマリランドは、独自の通貨をもち(しかも、外貨がたくさんあるはずの両替所には護衛がいない)、議会があり、大使館がありビザも発行されている。
両替所どころか、国のどこにも銃をもった人間は存在しません。
荒れたソマリアに住む人々と同じ人種のソマリ人が作った超・平和なソマリ国家、ソマリランド*1
この国がなぜ平和なのか?なぜ国際的な支援を全く受けずにこれほどの仕組みを作ることができたのか?
そこにはソマリ人の性質が強く影響しています。

"野蛮”なソマリ人

ソマリ人は、のんびりした性質の人が多いアジア・アフリカ世界の中にあって、せっかちで荒っぽく、カネにうるさい、極めて個人主義的で飽きっぽく、損得勘定に厳しいという国民性を持っています。
(人の話も最後まで聞かないし、信頼関係もなにもあったもんじゃなく、なにか頼るとここぞとばかりに金をせびりまくります。)
そして、自分の”ファミリー”に強い帰属意識を持つ人が多い。
日本の戦国時代でいうところの、平氏、源氏、伊達氏、のように、ソマリ人は国や民族全体というよりファミリー単位で強い結びつきを持ちます。
彼らのこういった気質には、
1.遊牧民であったこと
2.イスラム教国家であること
が影響しています。
遊牧民は定住しないので、村や国といった概念をそもそも持たず、家族単位で移動しながら暮らしています。
そして財産である家畜による生産品をもとに売買を行う、交渉がなにより大切な商人として長く暮らしていた人々でもあります。
このような暮らしの中で、家族(今ではもっと大きな、同じ苗字を持つ人々、のようなグループですが)のつながりが濃く、移動の判断は砂漠に置いて飢えないためにとても大切ですから決断が早くせっかちで、さらに利益に敏感で、”契約”を何よりも重視します。
また、イスラムも彼らの価値観に大きく影響していると考えます。

なぞのイスラム教 (宝島社新書)

なぞのイスラム教 (宝島社新書)

『なぞのイスラム教』の知識をもとに話しますと、イスラムでは縦の権力構造は存在しません。
全ての人間は「神のもとの平等」にあるからです。
一応、長老やスルタンといった、ファミリー(もしくはコミュニティ)の長のような人は存在しますが、彼らにすべての決定権や支配権があるわけではなく、争いが起こった時や啓典の解釈でもめた時に最終的な解決方法を示す、いわば裁判所のような役割しかありません。
このような社会では、人々は個人主義的な傾向が強くなり、またそれぞれに与えられた権限も大きくなります。
一般的ソマリ人のように自分勝手になることもありますし(彼らは人の話を聞かないばかりか、一方的にその場で思いついたことをしゃべって、なにもなかったかのように帰っていったりするようです)、そもそも縦の権力構造を前提とした、世界的な基準の”国”の概念は馴染まないのです。

縦か横か、どちらが優れているのだろうか

私たちは日本人なので、好むと好まざるとにかかわらず、基本的にはヒエラルキーの中で生きています。
キリスト教、主にカトリック世界も同様に、ローマ教皇を頂点とする権力構造が根底にあります。*2
私たちは”権威主義”であり、権力には無抵抗でしたがわなければならない、という意識に縛られています。
それに比べ、イスラムでは盲目的に権威に従うことがないですし、とくにソマリ人のお金大好きで超合理的&現実的な性質はある意味とても民主主義に合致してはいませんか?
政府だろうが長老だろうが、勝手なことをしたら許しません(そのおかげで、言論の自由も当然のように保障されています)。
彼らは内戦が起こった時に頼るのは権力者ではなく、第三者に仲介を頼みます。
利害関係にない第三者が裁判所の役割をすることでもめごとを解決するのです。
確かにこの方法なら遺恨も残りずらい。
調停方法も、判例があるなら判例に従う、なければ新たな反例を作ります。
さらに政治でも、政治家からなる議会とそれぞれのファミリーの長老からなるグルティという機関が相互監視のシステムを取っています。
この二つは完全に独立した機関。
ソマリ人ジャーナリストは日本の参議院衆議院制度に対して、「どちらも政治家で、さらに与党と野党の割合によって結局結果は初めから決まっているようなもんなのだから全然意味ない」と痛烈に批判します。
商人的な”契約”の価値観において、しっかりと憲法に照らし合わせた法案の成立を目指します。
それが違憲であれば、まずは憲法を変えるのかどうかというところに立ち返って考える、そんな合理的なプロセスが取られます。
政治家が人気取りのためにキャッチーな法案を考えても、長老がNOを出すことももちろんあります。
政治家は単なる”国民意志を代表するもの”であり”エライ人”ではないんです(なんと民主主義的)。
まあ、政治は横の価値観というよりも、合理的な思考によるものが強いです。
しかし言論の自由についてはこの”無権力構造”がかなり影響しています。
ソマリア独裁政権時代ですら、言論の自由は保障されていました。
佐藤浩市さんの発言についてのニュースを今日読みましたが、小林よしのりさんの言う通り、「権力を揶揄することができない状態は、全体主義」なのです。
そこまで言うと大げさかもしれませんが、このような権力に盲目的に従い、それ以外は排除しようとする、その姿勢は全体主義につながります。
イスラム世界ではなんらかの原因で(主に武力と虐殺)、独裁者が生まれることはありますが、全体主義は生まれません。
権力礼賛による腐敗も生まれません。
ソマリランドの例でわかる通り、ヒエラルキーがなくたって国家は作ることができます。
むしろ、本来の民主主義に近いのは、彼らの方ではないでしょうか?

すべての物事において、正義の執行が優先されるべきなのか

ソマリ人にとって、カネは超重要。
正義や善悪などの道徳は二の次です。
著者の高野さんも書いている通り、この考え方に日本人は少し抵抗があるかもしれません。
しかし、例えばあなたの家族の稼ぎ頭が誰かに殺されてしまったとき、日本では「社会正義」ばかりを重んじて加害者をどう処罰するかばかりを考えがちです。
悪を捕まえ、悪に対してどんな制裁をするかが第一なわけです。
被害者側としてはどう思いますか?
もちろん、「復讐したい」という気持ちが大きいなら犯人が逮捕され、処刑されたら清々するかもしれません。
でも、その後の生活は?
賠償金や生活の保障はどうなるのでしょう。
そこをおざなりにすることは、被害者感情を重視していると果たしていえるのでしょうか?
そのあと路頭に迷ってしまったとして、それでも”清々した”なんて言っていられるでしょうか。
現実的な部分を二の次にしている”道徳観念”は、むしろ被害者に対する思いやりに欠けるのかもしれません。
現実的なことに対してどうも無頓着な日本のほうが、冷たく感じます。
もちろん、倫理観は人間として必要なものですが、余計な道徳規範がむしろ、人々を抑圧する結果にはなっていませんか?
カネの話とは少しずれますが、”現実的な考え方”という面では結局は不登校問題もそれに連なっている気も私にはしてしまいます。
個人主義ソマリランドなら、たとえばクラスメイトにいじめられて学校に行けなくなってしまったら迷いなくホームスクーリングを開始するでしょう。
日本人は不登校の子供になんといいますか?
「学校に行かなければ精神が育たない」「義務教育を受けさせるのは親の義務だ」「不登校は甘え」
本人がいじめを受けて辛くて学校に行けないのに、無理やり学校に行かせようとする親はまさかいないと思いますが、周りの人間はとても残酷なので、こんな心無い言葉を無意識に吐くことができてしまうのです。
人間的な感情より、いつなんどきでも規範が大事なんですね。*3


あなたの常識は本当に”正しい”ものですか?

『謎の独立国家ソマリランド』はめちゃくちゃ途方もなく分厚い長い本なので、私が4000文字書いても全く良さを伝えることができた気がしません。
みなさんまだ読んでいただけていたら、ぜひ本を読んでみてください。
「こんな民族、こんな人たちがいるんだ」「こんな国も存在するんだ」
そんな風に気づくことだけで、世界の見方は変わります。
自分の持っている無駄な規範意識や偏見、常識は本当に正しいものですか?
そもそも正しいって一体何ですか?
大きな目線で物事を見ることで、想像力とやさしい目線が生まれます。まあ生まれなかったとしても少なくとも百田直樹のようにはなりません。



おまけ

ソマリランドでは”カート”という覚醒植物が非常に流行しており、飲み会ならぬカート宴会が毎日開催されるほどです。
高野さんがカートが好きだから盛っているのかもしれませんが、みんな楽しそうだし一種のコミュニケーションツールとしてカートは理解されています。
依存性は少しはありますが、やばいほどではない。
便秘になったりもしますが、牛乳を飲めば大丈夫。
気分が高揚し、心を開けるようになる。
仕事にも支障はないし、食いすぎるということもない。
……酒や煙草と何がちがいますか?
というか、酒のほうが飲みすぎで意識障害が起きるなどがある分、重症では。
煙草も肺がんに有意な関係があります。
何も考えずに盲目的に「ドラッグ!ダメゼッタイ!!」
でも酒とたばこはOK。
結局は既得権益を守りたい権力者に丸め込まれているのかな。
日本人はもう少し、自分の頭で考える癖をつけたほうが良いと思います。

*1:ソマリア、とはイタリアの植民地につけられた国名で、ソマリ人の地、という意味です。イタリアと同じ。なので、ソマリア人、ソマリア国家と呼ぶのは間違いです

*2:この構造に、神の下での平等という概念との矛盾を感じ、プロテスタントは別の宗派を作りました。

*3:もちろん、規範を重視すべきタイミングもあります。タイミングを見極めず脳死で権威に従う姿勢が問題です。